ジュテーム2
カミュが額に手を遣る時は偏頭痛のする時だ。
それでちょっと瞬きをして、何か美味しくないものを食べたような顔をする。
癖と言えば、最近知ったのだがシュラとかサガとかデスマスクとか、とにかく俺以外の人と話す時のカミュは きちんと相手の目を見て物を話すらしい。
カミュが目も合わせずにボソボソ喋るのは本当にどうでもいい事を口にしている時か、 それとも単純に大きく出られない時で、そういう時のカミュは喋っている事の解釈そのまま全権を俺に任せてくる。
あの時お前がうんと言った! とか、あの時お前は何も言わなかった! とか、全部そういうことにして、 面倒くさい物事やどうでもいい事の責任を俺のせいにしているのだ。
俺はそれを見ながら、温くなりそうな炭酸を飲んだり、冷めかけたお茶を飲んだり、ふうん、と時々、頷く。
俺がうんと言っても言わなくても、カミュは一人でに満足をしている。
カミュの面白い事はこういうひどい人格を誰にも彼にも出そうとは思わないところで (元々、そんな、悪い性格の権化という人でもないと俺は思う) つまり、折角ならこの際開き直ってしまって誰にも彼にも我儘をすればいいと思うのに、それを絶対にしない。
そうすれば嫌われる人には嫌われるだろうし、それでもいい人だけ一緒に居てくれるんじゃないの、 そういう関係の方が面倒でなくて楽なんでないの、と訊いてみた。
そうしたらこのカミュと来たら、その大きな手で額に手を遣りながら言ったのだ、苦虫を噛み潰したような顔で。
「ミロは一人だけでいい」と。



機嫌の悪い時に面倒な質問を振ってしまったようで、変なスイッチが入った。
手を遣った額は自分の物でなくて、俺の額だ。
熱でもあるのなら心配だ、と表情で言い(わざわざそういう顔を作った)、小馬鹿にしたように口の端で笑う。
ちょっと覗いた歯にまで小馬鹿にされているようで、俺はこの偏頭痛持ちめ、と思った。
カミュには変なスイッチが何箇所かあって、それを入れると八つ当たりでこんなことをしてくる。
俺の額にかかる髪を手の甲で押し上げるようにしながら、益々憎たらしい顔で言う。
「私の我儘を受け止めてくれるのはお前しかいない」
首を左に傾けたのは右側頭部の偏頭痛だからだ。
首筋に髪が掛かっているがそれを払わないのも偏頭痛が酷いせいだ。
右手は俺の額にある。左手は次に何をしてやろうか考えている。のだと思う。
俺は肘を抱えるようにして腕を組んだ。頭を押さえられているのでこれ以上前には出られない。
カミュの手は大きい。指が長くて、薄っぺらな掌をしている。
ひっくり返せば白い甲に青い血管が二筋、薬指の骨に沿うように流れている。
「誰にもは見せられないだろう。お前だから許しているのだ。このカミュの、全てを」
今日のスイッチは又一段と変な所にある。こんな冴えた嫌味を繰り出すカミュは久し振りだ。
俺は面白くなってきてしまって、ちょっと脚をばたつかせた。わくわくしてきたのだ。
左手が伸びて俺の襟首を引っ掴んだ。襟があって良かった。襟がなかったら素ッ首そのまま鷲掴まれていたと思う。
俺の額にあった手がするりと滑り落ちて、頬っぺたを撫でる。指の腹と関節と、随分器用に撫でるのは慣れなのかもしれない。
「可愛い、私のミロ。許してくれている。私は果報者だな」
襟首を引っ掴みながら言う台詞でもないだろう。でも、俺はこういう時のカミュの顔が結構好きだ。
今日の偏頭痛は随分と重いみたいで、その分忌々しげに俺を見つめてくる。凄みのある表情はカミュの顔立ちだからよく似合う。 俺が頭を痛くしながらカミュに八つ当たりしてみたってこんな表情は到底出来ない。
襟首が締まった。息が詰まる程ではないけれど、首に擦れたような熱い痛みが走る。
俺は脚を組んだ。椅子の背凭れに体を預けるようにして、ふんぞり返ってやった。カミュがむっとするのが判る。
逃げるな、とカミュが俺の頬っぺたから手を離しながら低く呟いた。
頭痛を堪えている。むっとしている。それを抑えて、忌々しげに俺を小馬鹿にしている、この表情!
これがさっきの八つ当たりそのまんま俺だけの物だって言うのなら、それは本当に役得なのかもしれない。
逃げるな、ともう一度言いかけて、やめた。忌々しげに俺を見遣る。襟首を絞める。
「愛している」
何処までが本当か判らなくなってきた。今日の頭痛は本当に重い。
俺はちょっと笑って、俺も、と返した。それで大抵この悪ふざけも終わるのだ。
愛している、愛している、ね、ふむ、と何か唸りながらカミュも俺の襟首を離す。
俺はこめかみを押さえて首を左、右、と交互に傾けた。
「頭痛くなった」
「お前もか」
カミュはさっきまで俺の首を絞めていた手で自分の額を押さえている。



炭酸を飲むと頭痛が治るらしいよ、治る人もいるらしいよ、そう言って勧めてみてもカミュは嫌がる。
実際、俺も炭酸で頭痛が治った試しがないから、無理矢理勧めるのもどうかと思って自分で全部飲んだ。
真っ青な泡を立てる炭酸は温くなって益々甘ったるい。
私はな、一々面倒くさいのだ、とカミュは冷めた紅茶を飲む手を休め、ぼそぼそ言う。
誰もお前のように私の癖を知っている訳でもなかろう。だから、他所では誤解なく振舞うよう努めている。
何より面倒くさいのは、お前のような変わり者をもう一人、側に置くことだ。
そう言ってカミュは冷めた紅茶を一気飲みした。
ぐだぐだとテーブルに崩れながらカミュは額に手をやったり前髪をいじったりしている。
晩飯はどうする。ぼそぼそと言う。
適当にしようよ。そう返して、俺もテーブルに突っ伏してだらだらすることにした。
今日は丸半日こんなことをして過ごしている。
----------------------------------------------------------------------------蛇足--------
「病み止めはないのか。ヤミドメ。熱冷ましにも使える、白くて丸い錠剤」
カミュは突っ伏したまま指先でテーブルにくるくる円を描いた。
あればもう出しているよ。そう返すと、痛い、薬、とぼそぼそ言い出した。
宝瓶宮までおつかいに行くのは遠くて嫌だ。アイオロスは鎮痛剤なんて持っているだろうか。老師はいない。
シュラのところまで、借りに行ってくる? そう訊くとカミュは俺の袖を引っ張った。
「シュラは駄目だ。心配を掛ける」
どの口で、そんな。シュラは多分カミュの猫被りをよく知っていると思う。俺が散々言い広めた。言い広めたことはカミュには話していない。
そうだ、俺にはツボが見えるじゃないか。ツボを押してみてはどうだろう。東洋にはそんな医学もあると老師に聞いた。
名案! だけどカミュにその旨を伝えたらとても嫌そうな顔をされた。
「絶対、痛い。しかも下手くそだ。目に見える。お前は好き好んで下手くそと罵られたいのか」
こういう時のカミュはどうしてこうも刺のある物言をするのだろう。俺は少しげんなりした。
好きなだけ罵っていいよ。そう返すと、ふむ、とカミュは嫌そうな顔で唸った。変態め。そう言い、額を押さえる。
やった。了解を貰った。実は話を聞いた時から結構やってみたかったのだ。
老師の話だと随分面白そうなのだ。人体のツボをこう、キュッと押さえたり針を刺したり、線香みたいなもので焼いたりするらしい。 アジアンは未知の世界だ。天竺には夢が広がっている。
どうすればいい、と言うので、罵る準備でもしておいてよ、と返した。カミュは甚だウンザリした顔で椅子を立つ。
よく判らんが、医者に罹る時と似たような感じで良いのか? そんな事を真顔で訊いてきた。
俺はカミュのこういう所が好きだ。俺が変態だって言うのなら、そんな俺に付き合ってくれるカミュはどんな痴れ者だって言うんだろう。
カミュのそういうところ、素敵だ、と、リビングに立つカミュの背中に声を掛けた。念のため二回繰り返した。
いいから、とカミュが手を振る。いいから早く治せ、ということだと思う。三回も言わなくていいっていう事かもしれない。
針と、他に何を用意すればいいだろう。取りあえず白いシーツがあればそれっぽい気がする。俺は小躍りしながら寝室へと向かった。




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