飾り小窓
面白いものに気が付いた。
これは普段面倒を嫌って如才なくそれを回避するので
生き方の適当と勘には自信があるのだろうと思っていたのだが、
全然予想もしなかった所に人のアヤというか、適当の得ない癖を持っている。
例えば、俺が皮肉や若干の拒否を含む等の複雑な所作でこれに構う、乃至相手自体をしない時には
何処で身に付けたものか其処いらの職業役者を凌ぐ表情と仕草で俺の思惑を器用に受け流して見せるのだが、
これを逆に
何の皮肉も拒否もなく、自然に出た感情の侭でこれに接すると
どうしたものか躊躇うような顔を見せ、怒ったり、つっぱねたりするのだ。
もっと判り易い例を挙げれば
俺が如何してよいのか判らない気持ちでこれに話しかけたり触れたりするとか、
本当は是と思う所を憚りや婉曲で其と言うとか、
そういう一枚で通らぬ気持ちを向けられた時には先の職業役者の顔で相手をするが、
そうではなく
只親切で物を取ってやったり作業を手伝ったり、
或いは何かの仕草を好く思って褒めたりすると、
途端にいつもの如何とでも取れる曖昧な態度と表情を引っ込め、
一瞬、本当に一瞬だが、困ったような、戸惑ったような顔をする。
次に選る表情を迷っているような、出し遅れたような、そんな顔を。


そういう性格なのか、それとも俺の良かれがこれのそれとも限らないということか。
そもそもこれの立ち居振る舞いの大半は俺の考えなど全く及ばぬ未知の回路を経ている事も多いから、
一々あまり深く探らずにそういうものなのだろうと単純に帰着していた。
(そういった停止はこれとの間に限ったことでもないが、これに関しては、特にそれが酷い)
しかし、判ってみれば何のことはなかった。
面白い程単純なことだったのだ。物の半ば、可愛らしいくらいに。
これは、素直な好意を向けられることに弱い。




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