追試 1
最近気付いたのですが、坂を登りきった後の昂揚感は初恋に似ているのですね。
言ってみれば再構築に近い所業を積まれたこの身ですが
そこで生きているか死んでいるか等と訊かれても常々首を傾げるのが精一杯で
敢えて落ち着くのならば
「一度死んだ」、「しかし生きている」と答えるのが一番近い、
如何にしても奥歯に物の挟まったような、切りが悪いような、
そんな気味の悪い回答しか出来ないと思っていました。
事実、私は、私の体は構成されているけれども、
それが本当に私であるか、以前の私と何一つ変わらぬ、私であるか、そんな事も疑っていたのです。
尤も以前の私が本当に生きていたかと問われれば
それも又確証の持てぬ話なのですが、少なくとも、私は死にました。
生と死が見えぬ、しかし強固な一線を挟んでコインの裏と表の様な
或いは御池の水面と水中から見る水面の様なものとするならば
私はきっと生きていた、というしかありません。
私は常々考えていました。
私は、本当に私なのかと。本当に、私として、生きて、死んで、再び生きているのかを。


坂を登り切った時のあの感情、覚えが有るのです。
遠い昔にした初恋と、とてもよく、似ているのです。


この心が作り物というならば、この記憶も作り物なのでしょうか。
もし、そうならば、何故、私の体に、この心と記憶が置かれたのでしょうか。




11月3日 晴 ちょっと寒い ミーノス 



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