あんたが言えばいい
「済まない済まない!」
ノックもそこそこにドアを開けたカミュの頬は紅潮している。外は大分冷えているらしい。時計は20時を回っていた。
髪の先の露を払い、手袋をコートのポケットに纏めて突っ込む。
両手が塞がる手間が惜しいのか片手でブーツを脱ごうとして少しよろけた。
「出るのが少し遅れてしまって、天気は良かったのだが」
ミロはカミュの足元に置かれた大きな紙袋を覗き込んでいる。
「これなに」
「今年は例年になく天候に恵まれていてな。助かっている。吹雪くと吹雪かないのでは全然…ああ、これは土産だ土産」
「持っていっていい?」
「いいぞ。その辺に置いて、飲み頃にしておいてくれ。あ、ついでにこれもお願いする。ええと私の家履きは」
カミュのコートはここ数年よく着ていたボルドー色の物でなく、更にその前に着ていた白いものだった。
この冬になってから初めてカミュを見る。カミュは冬になるとおよそシーズンの殆どをシベリアで過ごす。除雪をする為だ。
コート、コート、とミロがうろうろしだした。 コートではなくコートを掛けるものを探しているのだろう。 俺の部屋の物掛けに使っていないハンガーがある、と言うとそちらに向かった。



最後に見たのは冬に入る前だったがカミュは変わりないようだった。
髪を後ろで一つにくくっている。つっかけた家履きの具合を直し、紙袋を抱え、そのままパタパタとキッチンに向かった。
俺の前を通り過ぎてから、壁の影から赤毛がひょいと馬のしっぽのように揺れて覗いた。
「お邪魔する! 水を借りるぞ」
これが挨拶を忘れて行動することはよくある。悪気はないと知っている。
知らない者には無礼になるから(本当は、俺にも失礼なのだが)直した方が良いとも思うのだが、 それを言おうとした日に限って、何の巡りか愛想のいい顔を向けてくるからつい、言いそびれる。
カミュの表情は薄い。薄いように見える。実際の、これの表情は極めて豊富である。 ただ、表情の出るタイミングが、時々人のそれとは少しずれている。それで気色の無いように見えている。
カミュの表情や感情の豊かさは豊かな割にどうも伝わり辛いのだ。 これの持つ独特な、ぱっと見た時の作り物ぽさは恐らくこの辺りにも所以しているような気がしている。
性格は剛直である。真っ直ぐだし、真っ直ぐに見せるのも上手い。本当は素直である。 素直で、子供の様に感情が刺々しくなる時もある。そういう時のカミュは剛直と相俟ってきつく映る。
だからだろうか、時々ニコリとした顔を見せるとそれで良いような気になるのだ。
これが笑いかける事など滅多にないように思えて(実際はそうでもない。発見し辛いだけで)得した気持ちになる。 それで得をした気分で、面倒な事はとりあえず後回しにしてしまう。
今日もそうなのかもしれない。 口数も普段よりやや多いし声が弾んでいる。 機嫌の良い時のこれは無邪気で可愛い。



炊事におけるカミュの手際は良い。
手を洗いつつヤカンに水を溜め、他に何をしているのかは判らないが、ガタガタと物を出している音がする。
「ボールと、これ…これも、借りるぞ。あ、これも」
「適当にしていい。何か足りなかったら、言え」
「あれだ、あれ。あれはないか。腹巻」
これには腹巻をして炊事場に立つ習慣でもあるのだろうか。
「腹に巻く、この前使って、青い、ほら、普段使わないのか? あっ、済まない、あった」
これだ、借りるぞ、と、それを振ってみせた。壁の影から青い布切れが見える。俺のエプロンだった。
「精一杯急ぐ。9時は過ぎるが」
料理くらい俺かミロが適当に作っておいても良かった。 しかし自分の食べたいものは、自分で作りたいのがカミュだ。
「ミロがだいぶん腹を空かせていてな」
「だろうな。朝から何も食っておくなと言った」
昼過ぎあたりからあまり動かなくなった。リビングの床に座りじっとしている。
空腹に耐えるのも一つの鍛錬だが、平時に聖衣も着ずにそれはやる気が起きないらしい。
組み手の相手を頼むのも酷だったので、俺も半日読書をして過ごした。
別にいじめようと思った訳でないのだが、とカミュが言う。
ミロはカミュの作るものが好きだ。第二の故郷の味だ、と、ミロは言う。
「今年は被害が少ないと聞いている。シベリアのことだが」
「頑張っているからな。まあ、雪が少ない。大分違うよ、本当に楽だ」
ミロが帰ってきた。カミュのコート類はそのまま俺の部屋に掛けてきたらしい。
キッチンを覗いた後、玄関に向かう。ドアを開けて外気を確かめている。ちょっと首を上げて空を見た。
カミュが何か言った気がした。何か刻む音に紛れてよく聞こえない。
うん、とミロが頷き、そのままキッチンに入っていった。



食事のあと、聖域のことや近況を話してカミュは自宮に帰った。
ミロはソファで酔いさましの水を飲んでいる。
「明日はサガのところに顔を出して、そのまま戻るってさ」
冬のシベリアでやる仕事がどんなものかを、俺はよく知らない。
武器や力ではどうしようもない難しさがある場所だろうと思っている。
「カミュはなあ…シベリアの、カミュは、誰も真似出来ないものなあ」
ミロが水を飲み下しながら言う。
仲の良いこれでも冬のシベリアにはあまり顔を出さない。今日のようにカミュが聖域に来るのを待つ。
雪でも降っていてくれたら、もう一日くらい居てくれたかな。除雪しに。
そう言って髪を弄んでいる。俺はその横に座った。
「本人にそう伝えたら良い」
「言っても仕様がないよ」
あんたが言ったらいい、そう言ってミロは欠伸をしながらソファを立った。
冬はまだ後一ヶ月と少しある。
ミロは明日の出立は見送らないつもりのようだった。
今日、また春に、って言ったから充分、とミロは言う。
俺はカミュが明日の何時に発つのかを知らない。見送れたら見送るつもりではいる。








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