私は聖域が嫌いです

速い。と、言われた。
アイオリアに言われた。シュラにも言われた。
ミロに至ってはその青い眼をこれでもかと言う位にバシバシ瞬きながら、 速い、と呟き、小首を傾げてみせた。
「何ていう技?」
だからどうしてお前は同僚の必殺技くらい憶えておれんのだ…




我が必殺の拳、グレートホーンはとにかく出が速い。
一億発の拳を放つ獅子の牙も、何者をも切り裂く聖剣も 我がグレートホーンの瞬発には敵わない。
腕を組んで「グレートホーン」と叫ぶだけである。
理屈はしらんが、それでグレートホーンが出る。
実に奇怪である。
奇怪ではあるが、生来どうも不器用で、全く不器用で、 右と左でバラバラに手足が動き、事無く歩を得る事すら理解難たる自分にとっては この仕組みは実に都合が良かった。


全くサガなど、どうなっておるのだ。
あの男は器用だ。
ギャラクシアンエクスプロージョン、と、舌を噛まずに叫び、 両手を頭上で交差させ、脚を適度に開き、背を伸ばして姿勢を保ち、発声に耐え、 背後に宇宙を出し、それから光の速さで敵を蹴ったり殴ったりしているのだ。
あの男は普通に殴ったり蹴ったりするだけで充分強いのだが
それに加えてこれだけの事をやっているのだ。まっこと、見事である。
俺には到底出来ぬ。さすがはサガだ。




俺は悩んでいた。
自分の拳の事で悩んでいた。
光速は、音速よりも速いのだ。
俺が「グレートホーン」と叫んだ時には、 光速を誇る我が拳は「グレートホーン」の速さを超えて、敵を、討っているのだ。
敵は「グレートホーン」を聞く前に吹っ飛んでしまう。
何もミロの知能が少しばかり足りない訳ではなかった。
聞こえていて「グ」だ。
何が「グ」だ。
これでは我が必殺の拳は名無しも同然で 俺は黄金聖闘士のくせに腕を組んでいるだけ、という事になってしまう。
いや、それで済めばまだ良い。
下手をすれば「腕を組んで グ と言うが矢先、謎の拳を放つ男」だ。
夜道、出逢い頭に何事か叫び、コートをはだけ前を見せる変質者のようではないか!
これはまずい。早急に対策を打たねばならん。




その日は実に気分の良い日だった。
先日顔を見せた天馬が教えてくれた。
こういう日を、日本では「五月晴れ」というそうだ。
風は何処までも涼やかに薫り、青い空は雲ひとつ無い。
何の鳥か、軽やかな鳴き声まで聞こえてくる。


俺は闘技場に出向いた。ここなら、若干の技を出しても問題は無い。
闘技場には人っ子一人いなかった。
…今日は安息日であったか。
このような天気の良い日であるし、雑兵も皆、のんびり休息を取っているのかもしれぬ。
それを悪い事とは、全く思わん。
人間も金属も、何も同じで伸ばしっぱなし、鍛えっぱなしだと脆くなってしまうのだ。
鉄も熱だけ加え、叩き続ければ、良い剣になる訳ではない。
そのような剣は硬いが脆い。
良い剣とは撓るものなのだ。斬るに易く、それでいて自在に硬軟を変える。
時と場を、自分で判断する。
人もそれと同じだ。硬いだけでは脆い。




しかし、こうも人がいないとなると、寧ろ皆が俺を避けている気にもなるではないか。
やはり謎の拳を放つ男は嫌われるのだろうか。少なくとも、格好良くはない。
闘技場の真ん中に仁王立ちし、癖で腕組をしながら俺は考えた。


「グレートホーン」を先に言ってから、拳を放つか。
しかしこれは不可能だった。
何故なら我が拳はどういう仕組みか「グレートホーン」と叫ばん事には出ない。
逆に言えば「グレートホーン」と叫ぶと、拳が出てしまうのだ。
代々のタウラスは不器用も代々継いだようで、 複雑な前手順を踏まなくても放てる必殺技だけが残ってしまったのだろう。
最低限の手順、それが、「腕を組んで」「グレートホーンと叫ぶ」だったのだ。
なんとも難儀な星座に生まれついたものだ…
…だが、(光速拳に関わらず)打ち込む度に長々と講釈を垂れなければならない蠍座も 我が宿命に負けず劣らず難儀ではないのか。
それでもミロは実に能動的に振る舞い、 更には激痛にもがき苦しむ敵を愉悦の表情でいたぶってすらみせるではないか。
正義の聖闘士として、あの様な加虐はしたくないに違いない。
葛藤に耐え、蠍の宿命を果たすミロは何とも漢気に溢れるのだ。
平時の少々足りない様は仮の姿に過ぎない。
奴の背負う精神的な苦痛に比べれば、タウラスの不便など微々たるものだ。




俺は再びやる気を出して考えた。
「グレートホーン」を先に叫ぶ訳にはいかん。では、どうするか。
俺は考えた。考えても考えても妙案は降ってこなかった。
頭上で鳥がピーヒョロロ、と鳴いた。
その時だ!


俺の頭に嘗て無い妙案が浮かんだのだ! 
俺は思わずカッ! と眼を見開いた。
そしておっ! っと身を軽くのけぞらした。目の前にあまり見ない顔があったのだ。
ムウは相変わらずほぼ無表情で、少しだけ不機嫌そうに俺を覗き込んでいた。
手には何か包みを持っている。
「何をやっているのです」
安息日だというのに、と、ムウは続けた。
休む時には休むという俺の信条をムウは知っている。
顛末を話すとムウは軽く頷いた。
「技の研磨とは良い心掛けです。妙案とやらを教えて下さい」
俺はムウとの距離を、少し空けた。
向かい合うと視線が妙に下になり、どうも同僚として話難いのだ。
「それがだな」
俺は先ほど降って沸いた妙案を嬉々としてムウに話した。
我ながら惚れ惚れするような案なのだ。これはムウと言えども感嘆せずにはおられまい。
「拳が届く前にだな、光速で早口言葉をするのだ。グレートホーンと」






ムウは包みを置いてジャミールに帰った。
包みの中は粽だった。
本当は一緒にいただこうかな、と思っていたのですけれど、と、ムウは言った。
そのウンザリしたように髪を耳にかける仕草を思い出す。
粽はムウがこさえたものらしい。
ムウは心底、呆れたように、だいぶん聞き慣れた台詞を残してキラキラ光る星屑と共に消えた。
「私は聖域が嫌いです」


粽はとても美味かったので皆にも分けようと思い、小宇宙電話をかけた。
が、見事に誰もいなかった。
こんな五月晴れの日だしなあ、と、俺は一人ごち、粽を食った。
明日も晴れると良い。
今度こそムウを唸らせる案を出そう、と、俺は一人決意した。








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